ラグビー日本代表で不動の司令塔として君臨し、神戸製鋼の栄光時代を支えた平尾誠二さんが、10月20日にご逝去されました。
53歳ということで、私とあまり変わらない年齢での死に、大変ショックを受けています。
今はラグビーと言えば五郎丸選手ですが、私の青春時代は、ラグビーの象徴は、平尾誠二さんでした。
心から、ご冥福をお祈り申し上げます。
ここで、平尾誠二さんの功績を称える意味で、経歴を紹介します。
平尾誠二さんの輝かしい経歴
平尾さんは、京都府京都市出身で、伏見工業高校、同志社大学卒業です。
どちらも、ラグビーの名門校です。
中学入学と同時にラグビーを始め、伏見工業高校で花園全国大会優勝。
1982年、19歳の時に史上最年少でラグビー日本代表に選ばれました。
同志社大学時代には、史上初の大学選手権3連覇に貢献。
1986年に神戸製鋼に入社。
その後なんと、日本選手権で7連覇を達成しています。
私の印象としては、神戸製鋼時代の栄光が頭に焼き付いています。
すごくハンサムで、格好良かったです。
ラグビーW杯にも出場し、第2回大会にはW杯初勝利をあげています。
1998年に現役を引退後も、ラグビーに携わり、日本代表監督、神戸製鋼コベルコスティーラーズ総監督兼任ゼネラルマネージャーなどを歴任しました。
このように、平尾誠二さんのラグビー人生は、まさに「栄光」の2文字だったのです。
今、ラグビーが大いに注目されていますが、その元をたどれば、平尾さんの存在無くしては語れないと思います。
私の中では、サッカー界の三浦知良選手と同じような、レジェンドだと思っています。
この動画は、神戸製鋼V8の軌跡ということで、当時の平尾誠二さんも映っています。
平尾誠二さんの親友は誰?
さて、平尾誠二さんと一緒に神戸製鋼の栄光を支えた親友は、大八木淳史さんです。
大八木さんは、190cmという巨躯をフル活用した、パワフルなラグビーで観客を沸かせてくれました。
大八木さんは、平尾さんの2つ上の55歳。
多分、すごく寂しい思いをされているんじゃないでしょうか。
神戸製鋼の無敵ぶりについて
平尾さんが所属したラグビーチームの神戸製鋼は、1928年創部の名門チームです。
現在は、「神戸製鋼コベルコスティーラーズ」というチーム名になっています。
関西社会人リーグ、全国社会人大会、日本選手権の3冠(7連覇)を独占した、栄光のチームで、平尾誠二さん、大八木淳史さんを始め、日本代表級の主力選手を多数擁していました。
獲得タイトルは、
- 全国社会人大会優勝9回(1988-1994,1999-2000)
- トップリーグ優勝1回(2003)
- 日本選手権優勝9回(歴代最多、1988-1994,1999-2000)
と、当時無敵を誇った強豪です。
当時、神戸製鋼のライバルとして立ちふさがっていたのが、新日鉄釜石です。
新日鉄釜石は、日本選手権7連覇を達成した強豪中の強豪。
そこに立ち向かったのが、神戸製鋼です。
前年まで同志社大学の主力選手だった大八木選手が加入し、社会人大会準決勝で、同大会8連覇を目指す新日鉄釜石と対戦。
そこでついに、新日鉄釜石の8連覇を阻止して勝利したのです。
このように、神戸製鋼と新日鉄釜石は、日本のラグビー界を牽引する強豪として、しのぎを削っていたのです。